便器について考える

2002年10月22日
 トルコ式(和式)の便器が、いわゆる金貨九氏というものが大きく張り出していて、これってないほうがいいのでないかい。というのは、確か立川駅ビル(デパート)で、ウンチをしたところ、金貨駆使が無い便器を採用してあり、おおこれはかえってすっきりして合理的であるわいと思いました。
 (女子トイレも同じでしょう。入ってみたいですが。それはできません。
いや、入りたくないですよ。)
 流すのには、手をかざすだけで作動するセンサーを用意してございます。笑
 ちかごろのデパートなどのトイレは一般にリッチで気分良い設計がされているので、たまに都会に行くとびっくりしております。
 
 洋式は、水が張っているタイプの便器がありますが、あれは爆撃とともにその水が跳ね返るはずであり、納得いきませんでした。
 大部分は流れ口の小孔だけが水溜りになっている洋式便器だと思いますが、洋式を使い出したときソレガシは、はねてしまったのでござる。笑
 それで少し前のほうに腰掛けるようにしたわけです。
 
 高速道路におけるトルコ式で、流れ口が後ろについていて、これはおかしいですです。前に行けませんから直撃になってしまいます。
 ですから、神(PAPER)を丸めて投入れまして・・。上さんには住みませんが。

 一般に世の中、不合理なことは無いわけではないでしょう。いや、教育界もあると思いますよ。笑 (笑ってる場合ですか。)
ですから隙間商品を開発すれば良いということもあり、一方、なぜ変なものが出回ってしまったかと、そういう、経済社会的な観点も是非諸先生のご高配をいただきたく存じます。(といっても、この日記は、先生の定義があいまいですが、タイトルを良くしたいと考えております。)

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 私、日本語わかりません。
THANKS for your kindnesses.

 

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