巡礼の島

2002年12月2日
民放の世界遺産のたび で モン・サン・ミッシェル
 を見た。
  http://www.asahi-net.or.jp/~cn2k-oosg/normandytour01.html

聖ミカエルの山 である。ノルマンディ半島西側の湾(入り江)に島がある。
 そこに建っているのは修道院だ。百年戦争のときは城にもなったが
宗教勢力である。細かいことはシラン。
800年かかって完成。干潮時しかわたれなかった。いや船でしょう。
近年 アクセス道路ができて 観光収入をはかった。
  しかし潮の流れが変わり 砂がたまり 景観・生態系が変わった。
これを元に戻せるか。
道路を橋にする。

<
発行が遅れました。
 大検高校運動は あちこちの大検取り組みとしてはかなりのものになっている
と言えます。
 さて天誅組(天忠)は 有志の掘り起こしで新展開。
会津藩 高橋誠三郎も 名古屋の人松本形動も(総裁のひとり)昌平コウという幕府の学校
 で勉強。これは朱子学 であり官学であった。

これにたいして 反体制的学問は 「古学」であり派もありますが陽明学もあります。
会津では田中ハルナカの寛政の藩政改革のときに古学を採用う。
 しかし田中の死後 幕府に合わせ 朱子学に戻った ということです。
   :間島勲氏)
なんか すこし 後の会津藩士が 昌平コウの古賀整理 にうとまれたということがあり
 そこには会津藩学との違和が? こまかいことはもうすこし シラン。?

政治的な対決において学問的(イデオロギー)がやはり対応していたと言う視点が
 立つのであろうか。とするなら 慶喜と容保は学において違うことに。
 つまり 幕府の朱子学の敗北 
 会津の藩学 の悲劇 
  と言う歴史的実験 を仮設する。

 http://www.perikansha.co.jp/html/0706-7.html
 
 http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/ishin/shouin/doc/kaisetsu_j/no004.html

<いにしえの東西を問わず 塔 落雷の歴史がありましょう。火事です。
 日本の天守閣 寺院の尖塔(モン サン ミシェル も)


+ 日輪と太市 {防寒衣
 

 

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