電気は無い

2012年10月30日 旅行
10.30火曜の午前4時ごろが満月だった。田川三造一抹は、上京してすぐ、自転車を出して五日市街道に乗り出した。

午後三時に会津若松を出発したが立川市の指定席に就いたのは、午前一時になっていた。スバルサンバーxvという軽トラックベースの車種であるが、
途中、三島街の山荘に荷物をおろし、こもやろーと雑草をちょん切って来た。伯父さんがあっちから見ていた。
所定の国道252では、イタチが正面からライトに向かって来たので、急ブレーキをかけて止まった。スノーシェッドの陰からイタチはこっちを見てしょげていた。

それがイタチであって彼派が転がっているのではない事にいち早く察知すべきところ、脳が多少弱ったにちがいない、一抹は不安を怯えた。


前を行く仙台車を追いかけていた六十里越えの惨劇だった。


イタチがどう軌跡を取ったのか、よく覚えていない。ただ衝撃はなく、あっちでイタチがこっちを窺っていたのが多少悪い目に見えたのである。

多分妖怪が何かを示唆していたのではないかと思った。


さて一抹が国道17の、店員さんたちに震災時の地震の様子をインタビューする事はなかった。



次に、上京の状況の訳ですが、町内会からのご招待があり、おそらく特定の家庭であろうが、雑草が茂りましたよ、どうぞおいでくださいというものだった。

雑草後時に負けるのかもやろー、と思っているが、雑草をどうにもできず、子供のいたずらのみ許していた。屋根に上がるは蹴飛ばすは、軟球をぶつけるは、ゴミ、冷蔵庫は捨てて行くは、とんでもない自己主張のみである。


よくない町内会を倒せよ、都国民に訴え出した所以である。のうきょうもそうでしょう、東電もそうでしょう、自衛隊も防衛も災害に本当のものでしょうか、一抹は不安だった、


そこで、まず、武蔵野の大地に鍬を打ち下ろした、除草の小さな鍬だったが、埃が鼻の穴を黒くした事があとでわかった。

一日目の実験を終え、

単車保管庫の中でランタン型ライトを点けて吊るして、サントリーバヤリーズトマトジュースを飲んだ。

地震に備え一箱買ってあった。


男は黙ってトマトジュースを飲むのですう という古歌が聞こえた。

コメント

お気に入り日記の更新

日記内を検索