西郷頼母と西郷四郎



 大検商会



志田四郎の母が頼母の妹であろうか。
甥の四郎が養子になった。

頼もは、篭城戦の前に共順を主張して

退去を命じられ、土方、松本順らと行動を共にした。

あるいは、米沢への使者であろうか。

長子一人が伴ったが、家族は西郷屋敷で自決する。

城に入らなかった。入れなかったのか?


長子没後16歳四郎が養子となり、大東流柔術を伝授された事は

物的証拠はないとする藻、状況証拠は十分であろう。

精神的に会津藩士である。3歳で
戊辰戦争になり、津川に脱出した。この辺お事情であるが、

西郷一家も脱出する事は出来たのであろうか。

西郷四郎会津を語っているか、定かではない。

23歳講道館師範代1年で大陸に渡り、孫文を支援した。

10数年後、長崎で新聞社に就任し、

孫文を迎えた。

長崎水泳倶楽部 を創設した。

講道館柔道6段となった。

コメント

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2013年1月20日3:50


東京で柔術道場に入門した事が既に、前提があった訳です。

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